
2025.01 北海道弟子屈
マイナス20度の中で、氷との対話。
極限の中で、時空螺捻体とどのような対話が行われたのか。
【記録と記憶】
意識や精神や魂などの内面世界に仕舞われている記憶。
主観的な情報を「記憶」、客観的な情報を「記録」とすると、私たちの脳や身体に刻まれた様々な記録と記憶の境目は、どこにあるのだろうか。もしも、自分自身に刻まれた記録情報を読み出し、思い出すことが出来たとしたら、「記録は記憶になる」のではないだろうか。
そのように仮定すると、記憶は脳神経の結びつきだけではなく、遺伝子や分子、そして素粒子まで遡ることができる。
どんな記憶も深く遡ることができれば、宇宙の成り立ちにまで辿り着けるのではないだろうか。日常を切り離した壮大な風景、生死に直面するような苛烈な環境、そして深く自身に潜るための十分な時間と、探求する強い熱意。
これらの要素が揃った時、今まで近付くことのなかった自己存在の原点に迫ることが出来るはずだ。
自分の中に凍結された記録を記憶にするために、厳冬下の弟子屈町へ向かった。

【自己と宇宙の相似性】
陽の光の下で、透き通った氷を削り、闇の中のかたちを探す。
ここに現れたかたちは、何を意味しているのだろう。
少なくとも、自己の内部にある何かと外部環境が作用して、氷に形を与えたことは間違いない。
そのかたちを削る衝動は、知識や体験によるものか、あるいは既に体内に組み込まれた記録なのだろうか。
削られゆく氷塊は、自己内部と共鳴し、確かにその姿を現し始める。
意識の奥で渦巻く、捉えどころのない感触を指先で探ることで浮かび上がるかたちは、内側のものであると同時に、世界全体の姿でもある。
そんな仮説が、静かに自己主張を始めている。
氷の中には、自分がいた。
そして、宇宙を見た。








